国家税務総局は毎年、事前確認協議(APA)の概況を報告しており、APAレポート2022年度版(中英文)[1]が2023年12月に公表されている。ここではその内容を読み砕いてみよう。
概況
年度別合意件数
1-2022APA(公表データをもとに筆者作成、以下同様)
地域別件数(バイラテラルのみ)
2-2022APAご承知の通り、APAは納税者と税務局との関連取引価格の算定方法や内容に関する事前の合意であり、ユニラテラルは中国税務当局と在中国納税者(企業)との合意、バイラテラルは中国税務当局と相手国税務当局(例えば日本国税庁)がそれぞれに所在する企業(中国現地法人と日本法人)との合意で、納税者からの申請を受けて協議し、合意に至った場合において各所在国法人がその合意条件に基づき関連取引を実行するというものだ。
バイラテラルAPAは2005年に日本との間で締結されたものを初例とし、2007年には米国、韓国とも締結、2011年にシンガポール、2014年にスイスとも締結とその対象国は広がっているが、一貫してアジア、特に日本とのAPAが合意件数の多くを占める。地域別では3分の2がアジア地域の税務当局との合意である。
2020年度からの直近3年間における二国間(バイラテラル)APA合意件数は計40件に達し、毎年の合意件数が二桁と比較的安定している。
APA申請条件
中国における申請資格条件としては、直近関連取引が4000万元以上であることを必須条件とし、企業納税信用等級がA級以上、過去に移転価格課税を受けたことがある[1]等に該当する場合は優先的に申請を受理するとされる。
対象年度は将来の3年から5年の課税年度であり、過去10年を遡求して対象年度に含めることができる。
APA申請は各省/直轄市レベルの所轄国家税務局[2]を窓口とし、ユニAPAは所轄当局及び国家税務総局の審査を経て発効し、バイAPAは国家税務当局と相手国税務当局との協議、合意を経て発効となる。
協議年数
協議年数(バイラテラルAPAのみ)
3-2022APA相手国との協議を開始してから合意に至るまでに要する年数としては、2020年から2022年の直近3ヵ年度で合意したバイラテラルAPA計40件の6割以上で2年以上の年月を要している。
二国間協議では、双方の当局とも自国の課税所得を多く確保したい上での、相互検証可能な客観的なデータベース数値や移転価格の論理に則った議論を重ねた結果の合意形成であるからそれなりの年月を要することは容易に想像できる。また当局は申請を受理したとしても合意達成の義務を負うわけではないので、議論を重ねても合意不成立となる可能性もある。
取引種別と業種
取引種類別合意件数(ユニラテラル/バイラテラル合計)
4-2022APA業種別APA合意件数(ユニラテラル/バイラテラル合計)
5-2022APA取引種類別では有形資産取引の比率は55%と相変わらず多いが、無形資産及び役務取引申請事案もそこそこ多いようにみえる。取引種類別合意件数の累計数(384件)は重複計上及び継続更新を含んでいるのでAPA合意累計数(260件)とは不一致である。一方、業種別合意件数の累計数はAPA累計件数と一致している。このうち、製造業の203件び卸売業の27件は有形資産取引の申請が中心なので、有形資産取引申請数の213件はほぼ製造か卸売業からの申請であろう。製造/卸売以外の業種からの申請合計30件と無形資産/役務取引の合計167件を比較するに後者が大幅に超過しているから、無形資産/役務取引の多くは製造業の技術者派遣費用や技術ロイヤリティなどを対象としたものであり、有形資産取引と併せて申請されたものと推察される。無形資産取引や役務取引の単独でのAPA申請はそれほど多くないのだろう。
算定方法
算定方法別APA合意件数(ユニラテラル/バイラテラル合計)
6-2022APA算定方法では、製造業の中国子会社を比較分析の対象とする移転価格分析が多いことから、従来より営業利益ベースの妥当性検証に適する取引単位営業利益法が多用されており、このトレンドは変わらない。利益分割法は調査において中国当局が好んで選択する算定方法ではあるが、APAにおいては合意件数が伸びておらず、特に二国間APAで合意に達するには難易度が高そうだ(或いは協議の長期化を覚悟する必要がありそうだ)。
日本における相互協議の状況[3]
ここで日本における相互協議の状況をみてみよう。2023年3月期の処理件数191件のうち146件が事前確認事案である。繰越件数は全部で742件、うち事前確認が586件を占める。平成24年度の繰越291件からほぼ毎年積上がっている。繰越事案の14%が中国であることから82件が申請受理済で審査中或いは協議中の案件であると考えられる。当該事務年度での中国を含むOECD非加盟国との相互協議発生件数は101件、処理件数39件、繰越件数335件(うち事前確認230件)、処理に要した平均期間は51ヶ月とあり、前年の44ヶ月から増加し、OECD加盟国を含む全体の処理期間30ヶ月と比べても長い。非加盟国との相互協議が一筋縄では行かない難しさを物語っている。
中国における事前確認協議の状況
段階別件数(2005年から2022年)
7-2022APA事前確認は納税者からの【事前確認協議予備会談の申請】に始まり、初期的な分析を経て当局が協議を進めるに相当であると判断すれば、納税者に【事前確認協議意向書】の提出を促す。上記の「意向段階」の件数はこの段階に進んだ企業数を示している。
次に当局は事案に対する機能リスク分析、比較対象会社のデータ、関連取引額及び利益水準、移転価格原則及び算定方法、バリューチェンの概要と価値貢献分析、前提条件などを
詳細に検証した後、納税者に【事前確認協議正式申請書】の提出を許可する。この段階に進んだ企業は上記の「申請段階」に数えられる。「合意段階」は文字通りバイラテラルAPAなら相手国との協議が成立した件数である。以下、バイラテラルAPAの数値に注目しよう。
合意段階の116件は前出の年度別合意件数の合計と一致しているので累計数である。意向段階47件と申請段階98件の合計145件が日本でいうところの繰越件数に相当するなら、日本の586件に比べるとまだまだ少ない[4]ようにみえる。更に分析を進め、公表されている2009年から現在までのバイラテラルAPAの意向、申請、合意の各段階の推移をみてみよう。
2022APA各年度のAPAレポートでは各年度末(中国語版で「載止」:英語版で“as of”と記載)における件数しか公表されていないので、増加、移行の数値は以下の仮定に基づく。すなわち、【意向段階】の移行(減少)は【申請段階】の増加と同数、【申請段階】の移行(減少)は【合意段階】の増加と同数、というものだ。従って、もし意向段階に進んだものの納税者から取下げた件数や申請段階に至ったものの相手国との合意に至らなかった件数(つまり増加のマイナス)があったとしてもここには現れてこない。2016年までの意向+申請+合意の合計件数が右肩上がりに増えているのは、少ないながらも合意件数が毎年積み上がっていると同時に、日本と同様、発生件数に比べて処理件数が追いついていない、つまり繰越案件が積み上がっていることを示唆している。
次に2017年以降について、まずはAPAレポートの公表数値のみ並べてみよう。
2022APA1-22017年の合計数の減少、特に意向段階の件数の減少はどういうことだろうか。
このころ、2016年度に【事前確認協議の完全な管理に関する(64号)公告】、2017年に【特別納税調査調整及び相互協議プロセス管理弁法に関する(6号)公告】の公布という、BEPS行動計画に応じた国内税務通達が矢継ぎ早に公表された。64号公告ではユニラテラルAPAプロセスの処理速度を改善することを謳っており、バイに比べてユニAPAを推奨する意味も含んでいる。当該背景を合わせて考えると、合計数減少は“意向段階案件の棚卸整理”なのかもしれない。筆者の経験では案件が意向段階に至ったとしても正式申請に至るまでに数年を要し、協議開始の段階では申請期間の3年から5年の半分以上が過ぎてしまった、ということがあった。事前確認は将来年度の予測に基づく利益水準等に対する合意であるから、経済状況に変化が生じて申請の前提条件に合致しなくなったり利益水準が悪化したため納税者自ら申請を取り下げる、という状況は、待機期間が長引くほど多くなるだろうことは想像に難くない。協議年数の平均2年に加えて意向段階の待機年数を加えると、意向から最終合意までに要する期間は3年から5年更にはそれ以上ともなろう。納税者自ら、或いは当局から合意可能性の低い案件の整理申出があっても不自然ではない。以下は、公表数値を各年度末の繰越件数とみなし、【後段階の増加=前段階の減少】の仮定に基づいて作成した増減表である。
2022APA22017年度の意向段階件数の減少(68件)が、案件の棚卸整理を意味する。2019年度の申請段階の減少(5件)は仮定が間違っているのかもしれないが、当該年度の合意件数(=申請段階の減少件数)の9件以上に申請段階の年度末件数が少ないので増加のマイナスを入れざるを得なかったもので、正式申請まで進んだものの審査中あるいは協議中に取り下げられた案件があったのかもしれない。
2017年以降の意向段階増加は年平均26件。同期間の合意件数が年平均11件であるから、処理能力以上に意向を受け付けているようではあるが、繰越件数が過剰にならないように、たとえ申請条件が整っているとしても相手国との合意が得られやすい案件に絞りこんで意向を受理しているだろうことが想像できる。
納税者としては処理能力の増大を期待したいところであるが、国家税務総局のマンパワーの制約、日中相互協議であれば年三回程度の電話会議による開催[5]という回数と方式の制約からなかなかそうもいかないようだ。
数値解釈のもうひとつの可能性としては、申請件数及び合意件数は累計数、意向件数のみは増加数、というものである。
「案件の棚卸整理はない」ことを前提とするなら2017年の27件は繰越数ではなく増加数と考えるしかない。裏付けになるかは分からないが、2016年以降の段階別件数表は【 2016年載止/as of】ではなく【2005—2016年/from 2005—2016】と表記が変更されており[6]、これは一つの表に累計数と増加数が入り混じっていることと矛盾しないための表記ではないかと考えた。当該前提でまとめた増減表を以下に示す。
2022APA3当該前提では意向段階の繰越件数がAPAレポート上顕示されなくなってしまうが、増減推移から2022年末の意向段階件数が232件と推察される。申請と合わせた2022年度末330件は、多くの企業が協議待ちとなっている肌感覚に加え、数字の積み上がり具合が日本の状況にも近いことを考えると、このぐらいあってもおかしくはない、という気もする。
日中とも人的、時間的制約がある中での当局の方々の努力には敬意を表したい。一方で、繰越件数が積み上がる状況を見るにつけ、納税者からすればいつになったら順番が回ってくるのか、という不安の声も出てくるだろう。毎年、日中両国の相互協議/APAレポートを読むにつけ「移転価格ポリシーのある関連取引価格(利益水準)の決定と運用プラス最終手段としての課税事案に係る相互協議」という、APAに頼らない移転価格自主運営も、納税者と当局双方が満足できる方向性の一つの選択肢になり得るのではないだろうかと考える次第である。
[1] 過去の調査資料から申請法人の状況をよく知ることができるためである。
[2] 各省及び直轄市(31省市)に加え、伝統的に移転価格実務に習熟した大連、青島、厦門、寧波の4市が連絡先として紹介されている。
[3] 令和4事務年度の「相互協議の状況」についてhttps://www.nta.go.jp/information/release/kokuzeicho/2023/sogo_kyogi/sogo_kyogi.pdf
[4] 逆に日本の繰越件数が多いともいえる。後述するが相手国との協議に進む可能性が低くなった案件については定期的に棚卸をして申請取下げを促してもいいような気がする。
[5] 月刊国際税務2023年5月号「最近の相互協議の状況について」を参照
[6] 2019年のみ【年度末現在】の表記となっているが理由は分からない。
[1]中国国家税務総局ウェブサイトhttps://www.chinatax.gov.cn/chinatax/n810214/c102374/c102375d/c5218833/content.html
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